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おかとん協力・6.24イノチアクションー反原発・脱原発デモ@大阪ーのお知らせ
 
 
[2012/04/24 15:37]
 
 
こちらのデモに、おかとん@避難者の会として協賛、おかんとおとんの原発いらん宣言2011として協力、という形で参加することになりました。


6.24 イノチアクション
ー 反原発・脱原発デモ@大阪 ー


私もあなたも一つのイノチ
芸術家も 宗教家も 農家も 漁師も 母も 父も 子も
教師も 医者も 政治家も 役人も 電力会社の人も
それらである前に一つのイノチ
山も 空も 花も 草木も 虫も 鳥も 獣も 大地も 水も 風も
私たちのイノチ

花咲かず虫這わぬ大地 魚泳がぬ水 鳥飛ばぬ空
そのような世界では人も生きられません
私たちは何者なのかを考えよう 私たちに何ができるのかを考えよう
いま イノチを見つめ
すべてのイノチと生きるために



ただ今、このデモの賛同人と賛同団体を募集しております。イノチコアサイトのトップページに、賛同人と団体名を沢山表示して、それを見た方が、「こんなにもたくさんの人たちが原発いらないと声をあげているんだ…自分も少し声をあげてみようかな…」と思ってくださったらいいなと思っています。

アーティストの方や専業主婦の方など、色々な方が賛同人になってくださっています!

賛同してくださる方、賛同してくださりそうな方を知っているという方、イノチコア inochicoreアットgmail.com(アットを@にかえてください) までお知らせください。ご質問等がある場合も同じアドレスまでよろしくお願いいたします。

ブロック参加なども募集していますので、是非この情報の拡散等をよろしくお願い致します!

イノチアクションデモについての詳しくはコチラのイノチコアウェブサイトでご覧ください。



ある避難ママの呼びかけを、ここに転載しておきます。よろしければ読んでいただけたらと思います。




初めまして。私は東京都から大阪府へ母子避難している主婦です。
事故当時、娘は生後十ヶ月、息子は三歳でした。
あれだけ酷いと思っていたチェルノブイリ原子力発電所事故当時のソ連政府の対応より、今の日本政府の対応の方が酷いことに気づき、避難を決意しました。

夫には、この一年殆ど会えていません。
二重生活で貯金に手をつけてしまい、交通費が捻出できないからです。
娘は夫の知らないうちに、あんよができるようになり、お喋りができるようになりました。
夫は、この歳でもう転職は出来ないと言い張り、東京に残って仕事を続けています。

子供たちはパパが大好きで、数ヵ月ぶりに会うと、泣きながら抱きつき、泣きながらサヨナラします。


3.11までの私たちの穏やかな日常は、二度と戻っては来ません。
家族が一緒に居られることは当たり前ではなく、とても素晴らしく幸せなことだったんだとわかりました。
原発さえなければ、私たち家族は、離ればなれにはならなかったはずです。

今まで無知で無関心だった自分を許せません。

原料のウランを採掘する段階から、労働者の被曝ありきで作らていれる電気。

何か間違っていると思いませんか?
その労働者が、自分の愛する人だったら…そう考えたことはありませんか?

大好きな人と一緒になって、やっと授かった小さな小さなイノチ。
何をしていても気持ちの悪い悪阻や重いお腹。
風邪をひいても薬が飲めないなどの、想像していたよりもキツイ妊娠期間を経て、人生で初めて経験する激痛の末、やっと会えた甘い匂いのする、自分にそっくりな小さい小さい赤ちゃん。

すやすや眠る赤ちゃんの、呼吸が止まっていないかと心配になって、何度も鼻息を確認したり、ふにゃふにゃ力無く泣かれたら、どこか具合が悪いのではないかと、必要以上に心配になったり。

その笑い声が、鳥のさえずりのように、とても心地よく聞こえたり。

ほとんど全ての大人が、過去にはそのような思いで、母親に育てられてきたことを、私はやっと知りました。無償の愛とは、こういうことなのかと。

自分が嫌いなあの人も、誰かの大切な赤ちゃんだったんだと。

だから、誰かの犠牲が無いと、作ることのできない電気なんて、私はいりません。

原発には、反対です。

デモなんて正直言ってすごく苦手でした。特殊な人だけがやっているというイメージを持っていました。
でも、今は、避難者である私が、声をあげるしかないと思っています。

原発さえなければ、夫は、わが子の可愛い時期を、離ればなれで暮らすことも無かったのです。

初めてたっちした時の笑顔とか、ヨチヨチ歩きの可愛らしい仕草とか、全て夫は、見ることが出来ませんでした。

夫は、私たちの居なくなったガランとした部屋で、寝ては起きて、ただ仕事に通っているのです。たった一人で被ばくをしながら。

忙しい夫の、唯一の楽しみだった、子供たちの寝顔を眺めることも、今はもう叶わないのです。

でも、それでも数年後、子供たちが被曝由来の病気になるよりは、ずっとマシだと思って我慢しているのです。 私は、彼の人生が不憫でなりません。

私はこれから、どうしたらいいのかわかりません。
今の母子避難生活が正解かどうかもわかりません。
一年がすぎて、避難ママの中でも、自宅に戻る人も沢山出てきています。

私も、毎晩これで良かったのかと子供たちの寝顔を見ながら考えています。

今の私に出来ることは何か?
この子達の未来が少しでも良くなるように、私には何が出来るのか?

……せめて、このようなことになった原因である原発を、私の代で止めておいてあげたい。
私は、そう考えるようになりました。


避難者は、企業などから支援を受けている関係で、大きな声で「原発いらない!」と、言えない人が沢山いることを知っています。

ですから、小さな声でもいいんです。帽子を被り、サングラスにマスクを着けて、顔を隠して、一緒に歩いて下さいませんか?
小さな声でも沢山の声が集まれば、それは、大きな声になります。
皆さんの、少しずつの勇気を合わせて、大きなうねりにしていきませんか?

地震があるたびに原発の様子が気になってドキドキしたり、
スーパーで何を買ったらいいのか途方にくれたり、
私の作ったご飯を、嬉しそうに口いっぱいに頬張る子供たちを見ながら、「この食べ物に毒が入っているのかもしれない…」などと、苦しい気持ちになったり……

その様な思いを、もう、他の誰にもさせたくはありません。

病気になって苦しい思いをする、子供や大人たちを出したくはありません。
子供たちの未来を明るいものにする為にも、自分の為にも、とにかくもう原発はいりません。

その一つの思いだけで繋がって、一緒に歩いてくださいませんか?


 
 
 
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