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おかんの日記 〜おかんびっくりしてもうた〜
 
 
[2012/12/30 20:03]
 
 

naomikyanberu縮小 


おかんそらもうびーーーっくりしたで

子供を守ろうっていうてた人らがな
次々逮捕されたんや
なんや悪いことしてしもたんかて聞いてみたらな、
駅の近くをただ横切っただけやって
そんとき職員さんの足 踏んでもたやらどうやとか。

”不当逮捕”や”弾圧”やって言う声が聞こえてきてな。
おかんはなんや怖なってしもたんや。
デモ行ったら逮捕されるんやろか、とか
署名してもあかんのやろか、とか
チラシ渡したらつかまるやろか、とか
うちも知らんうちにつかまるよなことしてへんか、とか
びくびく恐ろしなったんや

でも考えたらおかしなことやで
うちらは子どもら守りたいだけや
自由に物事考えて 
自由にもの言うてええはずやろ
それが民主主義っちゅうやつちゃうんか
今はそういう時代のはずやん
それで逮捕されるんやったら、
なんやはだしのゲンのときみたいや

放射能まき散らした人らはな 
まだ一人もつかまってへんねんで
子どもら守れ言うてる人がな
暴力ふるったわけでもないのに
次々つかまりよるんや

放射能もいややけど
自由にモノ言えん社会もいやや

警察さんもこれ以上な こんなことせんといてや
誰もなんにももの言われへん、そんな社会はいややで。
原発イヤや思わんか?
子どもら守りたい思わんか?
おかんはいややて言うこと、やめへんで。
理由もなく逮捕ってできるんやってことを知って怖いけど。
それでも、やっぱりやめへんで。

おかんはな、
あんたに健康に育って欲しいだけやねん。
今食べてるもののせいで
10年後にあんたが病気になったら後悔してもしきれんわ。
瓦礫焼却で空気が汚れて
あんたが病気になったらどうするんや。
もうすぐ原発の事故から2年経つけど、
おかんは毎日そんな心配ばっかりしてるんや。
病気にするためにあんたのこと育ててるんちゃう。
元気で笑って生きて行って欲しいだけやねん。

逮捕されてるの見たらやっぱり怖なるねん。
声出すことがしんどなる時もあるねん。
でもな、休憩しながらでも言い続けるしかないねんな。

あの事故の時に思い知らされたんや。
この世の中はな、
あかんことはアカンって言えへんかったらな、
賛成してることになるんや。
世の中おかしなことがいっぱいあるやろ。
気づいた人が声に出して、
それはおかしいって言わんと
どんどんおかしなことになるんやわ。

原発も放射能もがれき焼却もいらんねん。

おかんは言うのんやめたらあかんと思ってんねん。

だってあかんもんは、あかんやろ。



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311を目前に、新作おかんのうた産ま​れました(^ ^
 
 
[2012/03/08 10:15]
 
 


あの日が近づくにつれ、心がざわついている方々もたくさんおられると思います。


様々な思いを胸に、一緒に歩きましょう

デモの案内はコチラ





*************************

なんでホンマのこと言わへんねん

なんで避難させへんねん

なんで原発動かせんねん

なんで子どもら守らんねん




なんでうちらが我慢せんならん

なんでおとんと離れないかん

なんでうちらがおかしな人や

なんでうちらが大事な人と、ぶつかって傷ついて泣かないかん




この1年おかんはな

なんでやなんでや怒りっぱなしや

あんたには負担やったかしれん 

でも おかんらの時代を事故の時代で 終わらせるわけにいかんねん

汚れた土にも小さな花を 咲かせてあんたに渡したいんや




やっと少しわかってきてん

おかんは毎晩勉強してな おかしな社会が見えてきてん

うちらおかんが手ぇつないでな あんたらほんまに守るんや

うちらおかんが怒ったらな それはすごい力やねん

うちらおかんが行動したらな 社会はほんまに変わるんや




無力やおもたり諦めそうに

なることもそらあるけどな

1年たっても決意は変わらん

「原発ゼッタイ反対」や







おかんとおとんの原発いらん宣言




**********************************








 
 
 
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郡山から大阪に避難して今思うこと おかんの日記
 
 
[2012/02/04 14:26]
 
 


私は、福島県郡山市から大阪府堺市に、
小学生のこどもたちを放射能から守るため、
母子3人で自主的に避難してきました。


夫は、いまだに福島に残って仕事をして、
生活を支えてくれています。


避難してくる前に住んでいた福島県郡山市は
、原発から50~60キロ離れたあたりにあり、
国が定めた避難地域に入っていません。
しかし、いまだに放射線管理区域である0.6マイクロシーベルト/時を超える
0.7マイクロシーベルト/時の空間線量があり、
非常に放射線の高いホットスポットも存在するところです。

そのため、自主的に避難する人と、避難しない人に分かれる地域です。

そのため、311に大地震が起こり、
原発が爆発してからずっと、
放射能から避難すべきか悩む日々が続きました。
パソコンがなかったため、テレビにかじりついて、
いつ避難指示が出るのか、
どういう状態ならば避難してもいいのか、
判断材料を求め続けました。


しかし、枝野大臣は「ただちに健康に影響はない」というばかりで、
判断材料となるべき情報を何も示してはくれませんでした。



早い段階で、SPEEDIの情報を公表してくれていたら、
原発が大爆発する映像をテレビで
流してくれていたら、もっと早く避難できて、
こどもたちに余計な被曝をさせなくて済んだのに…と
悔しくてなりません。

何も知らず、避難地域に指定されなかった郡山は、
たいした被害はないのだと思いこんでしまいました。
危険な状態なら、国が何もしない訳がないと思っていました。

そんな中、高い放射能が降る中を、
地震の影響で断水で水が出ないため、
スーパーにもほとんど物資がない中
、生活するための水や食料を得るため、
スーパーの長蛇の列にこどもたちと並んでしまっていました。

それから、私の小学生の長男の体には、異変が起こりはじめました。
口内炎、湿疹、発熱、鼻血などの症状が出てきたのです。
その時には、まだ知りませんでしたが、
それはチェルノブイリ原発事故の後に、
その周辺の人たちに多く表れた放射性物質による
健康被害の初期症状そのものでした。


そうした症状は、私の長男だけでなく、
多くの福島県に住むこどもたちや、
東北・関東に住むこどもたちにまで、広くでています。

例年とは違うこどもの体調の変化に、多くの母親は直感的に危機感を感じ、
データをインターネットで調べて確信を深め、
様々なものを失いながらも避難を決意しています。



もし今、母親の私が避難を決意しなかったことで、
大切なこどもたちが3年後5年後10年後に
命を失うような病気にかかったとしたら、
命を失うとしたら、
私は自分で自分を許せないだろうと思いました。

枝野大臣が言い続けた「ただちに健康に影響はない」とは、
「いずれは健康に影響がある」ということです。
テレビなどでは大々的に公表はされていませんが、
すでにチェルノブイリ原発事故の時のデータでは、
事故から3年後から甲状腺ガンが増えはじめ、
10年後にピークに達していることは分かっています。


ただちに、健康に影響はなくても、放射線を浴びつづけたら、
近い将来、健康に被害があらわれることは、
すでに分かっているのです。
自分の命に代えても惜しくないこどもたちの命が
脅かされているとしたら、
何を失っても避難しなくてはと思い、
福島第一原発から600キロ離れた大阪まで避難してきました。



しかし、その安全だと信じた大阪が、今、
放射性物質のついた震災瓦礫を受け入れようとしています。

大阪で受け入れるのは、岩手の瓦礫ということですが、
京都で燃やされようとした岩手の松から
セシウムが検出されたことがニュースになったように、
岩手といえどもすでに放射性物質に汚染されているのです。

その瓦礫を大阪で焼却したら、今、
奇跡的に汚染を免れて安全な大阪までも放射能汚染されてしまいます。

私たちは、放射能からこどもたちを守るために、
はるばる身寄りのない大阪まで避難してきたのに、
その大阪までもが汚染されてしまったら、
私たちはどうすればいいのでしょうか?

震災瓦礫を大阪で受け入れることによって、
私たちのように被曝したものは更なる命の危険に脅かされるばかりか、
今まで被曝していない大阪のこどもたちまで被曝させる危険があるのです。

大阪の人たちにまで、
私たちと同じ苦しみを味わってほしくありません。

福島でも、原発は安全かのように言われていましたが、
今回の事故によりたくさんの人が健康に被害を受け、
将来に不安を抱え続けることになりました。

大阪でも、瓦礫の受け入れは安全かのように言われていますが、
それを鵜呑みにして受け入れたら、
福島の二の舞になってしまうと思います。

瓦礫の受け入れが、
被災地の支援のように言われていますが、
私はそうは思いません。
大阪で処理できるくらい安全な瓦礫なら、
岩手で処理したいと陸前高田市長は言っています。
その方が被災地の処理業者が潤いますし、雇用が生まれるからです。
記事はコチラ

被災地の支援をしたいという気持ちには、
とても感謝していますが、瓦礫の受け入れだけが
被災地の支援ではないと思います。

被曝しても死なない瓦礫を受け入れるより、
いまだに被曝し続け命を脅かされている福島のこどもたちの
避難を受け入れること、
その方がずっと命の方を向いた支援だと思います。

いまだに、福島に残るこどもたちはたくさんいます。
放射線管理区域以上の空間線量が存在する中を、
放射能汚染された食品を食べさせられて暮らしています。

私たちが住んでいた郡山の学校では、避難したのはクラスで3人しかいません。
割合で言うと避難したのは一割で残り九割のこどもたちは残っています。

そして、郡山の学校給食では、
去年高い放射能の降った土に育った米を使用したご飯や、
セシウムが18ベクレル検出された牛乳を使用しています。

保護者が、そうした給食を改善するように教育委員会や学校に働きかけても、
今までの業者との繋がりがあるからと改善に至っていません。

また、郡山のこどもたちが集団疎開できるように
避難の権利を求める裁判をおこしましたが、
棄却され、控訴しているところです。

郡山の友人には、せめてこどもに給食の牛乳を飲ませないように、
ご飯は安全な産地のものを自宅で炊いたものを
持っていくように頼みましたが、
ムラ意識のせいか「みんなと違うことは、できない」と、
そういった防護すらできない状態です。

チェルノブイリ原発事故のデータから、
被曝してしまったこどもたちでも、
安全な場所に短期間でも避難して
安全な空気を吸い安全な食べ物を食べれば、
深刻な病気から免れていることが分かっています。

どうか、被災地に遠慮なく、
震災瓦礫の受け入れ反対の声を上げてください。
そして、瓦礫の受け入れより、
避難者の受け入れに目を向けてください。
いまだに、原発から20キロ圏内以外の
放射能汚染から避難するための補償はされておらず、
それが経済的負担となり、命を救うための避難を妨げています。

瓦礫受け入れに反対して、
避難できる安全な大阪を守っていただくことが、
福島をはじめとする被曝し続ける人たちの
命を救う支援になります。

これ以上、福島の悲劇を繰り返さないためにも、
大阪が汚染されないように瓦礫受け入れを防ぐこと、
よろしくお願いします。




(た)







 
 
 
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おかんの日記⑥~4月に東京から避難、9.11大阪デモでスピーチ。今、想うこと~
 
 
[2011/09/14 11:17]
 
 
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東日本大震災からちょうど半年の9月11日。
小1の息子とともに
「原発ハヨトメロ!! デモin大阪」(at難波・元町中公園)に参加しました。
デモの参加は7月31日のサウンドデモに続いて二度目です。

はじめてのデモは遠くから見ていた感じでの参加でしたが、
今回は東から避難、移住してきた母としてスピーチもさせていただき、
顔見知りになったママたちもいっしょで
心強く、感慨深いものでした。
スピーチはやってみて、あらためて向いていないなと思い(汗)、
終わった直後は穴があったら入りたい心境でしたが……。

9月11日に全国各地でおこなわれたデモは
もちろんそれ以前のデモやさまざまなアクションに
加わっているほとんどの人は、
福島の事故をきっかけに行動を起こしはじめたと思います。
でも、3月11日を東京で過ごした私はパニックになり、
4月から地元・茨城県に引っ越す予定
(息子の進学を機に、じじばばのそばで暮らすはずでした)を
キャンセルして大阪に移住。
しばらくは「自分だけ逃げてきた」と悶々とした日々を過ごしていて、
なんの行動も起こせませんでした。
フリー編集者として大阪でも出版の仕事を続けることにしたものの、
「私にできるのは本づくりしかないのか?」
「ほかにするべきことがあるのではないか?」
と思いつつ、情報がキャッチできなかったことや、
新たな生活や仕事で手いっぱいだったということもあり、
脱原発関連の催しに足を運ぶこともなかったのです。

でも、「逃げて終わりじゃない」
という気持ちをずっと抱えていました。
そんなとき、たまたまの縁で
武田邦彦さんの著書
(子どもの放射能汚染はこうして減らせる!
http://www.takeshobo.co.jp/book_d/shohin/5528501
に携わりました。
武田さんから直接お話を聞くと、
自分がいま大阪にいること、
茨城県に引っ越して父の畑を手伝っておいしい野菜を食べるという
夢をつぶされたこと、
美しいふるさとの景色を汚されてしまったこと、
家族や知人が離ればなれになってしまったこと、
距離だけではなく気持ちの面でも溝ができてしまったこと……など、
「どうして?」
という思いがあふれたりよみがえったりしてきました。
そして、現在進行形でどんどん露呈する国や東電のお粗末さへ、
新たな憤りも感じました。
武田さんは「脱原発を選ぶかどうかは、
あなたが自分で考えてください」と
おっしゃっていましたが、
私は「そりゃ、脱原発しかないだろ」と
心で即答し、スイッチがONになったのです。

私が武田さんの話を聞いて、
いちばん危機感をもったのは、
福井の原発のことでした。
福井で事故があれば、
福島の事故による東京のようになるのは
大阪かもしれません。
私は身近なお母さんたちを見ていると、
福島原発から出た放射能のことは自分たちには関係ない、
遠い国で起こった話のように思っているように思えてなりません。
瓦礫や給食に頭がまわるほど細やかでなくても、
「福井で起こったら、大阪も東京のようになるかもしれない」と
わかりやすく考えて、
「やっぱり脱原発でしょ」と思ってもらいたい。
「東京は大丈夫みたいだし、大阪もきっと大丈夫やろ」
と思ってしまうのかな……。
そんなの、いやや~! というかダメダメ!

私は武田さんの教えにしたがい、
なにかあったときのためにペットボトル水を一箱常備し、
インフル用のマスクも準備しているけど、
そんなの使うときがきたらやっぱりいやだし、
市民にそんな準備までさせる原発はやっぱりないほうがいいし、
だいたい子どもたちが暮らしていくなかで
そんなことにおびえながらというのは
やっぱり違う。
当日のスピーチでも話しましたが、
日本をもっとマシな国にしたい。
いまは、どんどん傾いていって
情けないたらありゃしない状況なので。

と、だいぶ長くなってしまいましたが、
あたりまえの感覚をもって、
あたりまえに行動して、
あたりまえの結末を迎えたい……そう願います。

もともと一人作業の家仕事で
ひきこもりがちな私がこうして行動したり、
どうやったって向いていないスピーチにも手をあげたりする、
それくらいとんでもないことが、
起こってしまったのだな……とつくづく思います。

同じ気持ちでいるみんなと、
「止める」「なくす」ことができるまで、
声を出しつづけていきたいです。
親子ともども、
デモでつながった人に会えることを楽しみにして、
次につなげていけたらです。

(は)


 
 
 
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デモに行くということ〜東京から大阪に避難中のおかんの日記④〜
 
 
[2011/08/02 23:56]
 
 


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〜ボクのデモ〜

ボク初めてのデモはな、
なんか難しいお話、
ママは知り合いに出会ってはおしゃべり、
ぼくはほったらかしでつまんないし、
おっぱいほしい言うてんのにすぐにはくれへんし、
眠なっても音うるさいし、
ママはごめんやでゆうてたけど、
ボクは疲れて思いっきりぶすっ顔してやってん。
またデモ行くゆうから正直え~って思てたんやけど、
今度のはな、
プールがあってお友達もおってなんか楽しかってんで。
お姉ちゃんに水鉄砲されて怖くて泣いてしもたけど、
いろんな人に抱っこして頭なでてもろたし、
同い年のおともだちにも会えたしな。
まだ歩くんへたやから、
今回はもらったひまわり握ってベビーカーの上やったけど、
これからもっと歩く練習して、
今度はぼくもバルーンの下おにいちゃんおねえちゃんと歩くねん。
ほんでぼくも原発いらんで~、
ほうしゃのう付きのごはんなんて食べたないわ~
おっきな声で言いたいねん。
ぼくがしゃべれるようになるまでは、
ママ頼むで。


〜おかんのデモ〜

今回のデモ、
ステージにたったアーティストはじめ 等身大の言葉で
「原発いらん」と言っているのが印象的。
原子力発電のしくみや放射線の影響、
エネルギー政策に関わる問題などなど、
どれもちょっといくと専門的な難しい内容にぶつかって、
ようわからんと
知るのを考えるのを
意思表明するのを
止めてしまいそうにもなる
”原発”問題。
でも、これまでも原子力村の人たちは
素人はだまっとれ的な対応でこれまで反原発運動を無視して、
押さえこんで原発を維持・推進してきたことを思うと、
今度は素人はだまっとれ言われても黙ってたらいかんと思う。
それぞれの表現で「原発いらんねん」て、
おかんはおかんの言葉で「原発はいらんねん」ていおう、
そんな空気感が
ラリーやデモの中に満ちていて
とってもここちよいデモでした。
もっともっと
たくさんの人と共に歩きたい。


ビデオ

~7/31脱原発サウンドデモ~


後半のMison_Bさんのパフォーマンス、ステキです。



 
 
 
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